感動の押しつけはいらない!オリンピックなんかどうでもいい

時事ネタ

世間ではオリンピック色が強くなってますね。

大手マスコミなんか直前まで批判していたのに一気に手のひら返しで気持ち悪くますます信用ならない奴らだなというのが感想ですが。

私はこれまで1度もまともに見たことがないし興味のあるスポーツもないので正直早く終わって欲しいとしか思っていません。

何が嫌かっていうとスマホでニュースを見るときひたすらオリンピックの話題ばかりが一覧に出て見せつけられること。

「〇〇が金メダルを取ったよ~」

「スケボーで初代王者になった」

「柔道4階級制覇」

こんな情報が欠片も興味がないのに一方的に押し付けられるストレス。

興味がないに追加しても次から次へと出てくるオリンピックニュース、、、ホント邪魔です

正直どこの誰がメダルを取ろうがどうでもいい。

子供の頃からオリンピックで日本人がメダルを取ったと聞いて感動した!

というの人の気持ちが欠片もわからなかったからね。

そしてそれは今も変わらずですが。

まあ、やっぱり同じような人はいるみたいだけどね。

「感動の押し付けはたくさんだ」運動嫌いの私が東京五輪に感じる"排除の空気" なぜスポーツだけ特別視されるのか
7月23日に東京オリンピックが開幕した。新聞やテレビでは、メダル獲得にまつわるアスリートの感動エピソードが乱舞している。文筆家の古谷経衡さんは「だから私は東京五輪に反対してきた。なぜ感動を押し付けられなければいけないのか」という――。

個人的にはこの記事のこれには同意

感動は押し付けられるものではない。内発的に沸き上がるものである。「感動ポルノ」という言葉がはやったが、私の五輪に対する生理的嫌悪感はこれだ。あなたの感動と私の感動は違う。押し付けはやめてくれ。私の感動は私が発見する。政府やメディアに押し付けられるものではない――。これが私が五輪のノリに対して違和感を抱き、距離を取りたい最大の理由である。

という手のひらを返した翼賛的なノリも、私にはどうも滑稽に思える。始まってしまったから仕方がない――というのは、構造的には「戦争が始まってしまった以上、仕方がない。われわれは戦争遂行に邁進するべきである」と同じだ。私は今後も五輪開催中、五輪へ冷たい目線を投げかけ続けるだろう。感動の押し売り、押し付けは真っ平御免である。感動は貴方からもらうものではなく、私が内発的に発見するものだ。

なんで同じ日本人という理由だけで見ず知らずの他人がメダルを取ったことにそこまで喜べるのかがいまいちわからん。

あくまでその人個人が凄いのであって、メダルを何個取ったからと言って日本、ひいては日本人の国際的地位が上がるわけでもないし、ましてや私の日常には全く影響はない。

周りの人の努力が認められるのに感情が動くのはわかりますが、名前だけしか知らない見ず知らずの他人の努力の結果の何に感動するんですかね・・・?

そこから何か自分に得るものがあるんでしょうか?

この人のように自分も頑張らなきゃって影響を受けるってこと?

正直に言えば見ず知らずの他人の金メダルより、姪っ子や私にはいないけど自分の子どもが運動会の50m走とかで1位を取った方が恐らく感動するでしょうね。

特に今年の東京オリンピックなんてホント応援する要素なんてないですから。

東京でのコロナ感染者が過去最高っていう話も出てるし、このままいったら感動で涙を流すより、身内をなくした悲しみの涙の方が多くなるような気がするんですけどね・・・

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